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  • 1-3-2 たったの五千六百円なのよ・・・
    安部公房作 カトレア読書会演出 「友達」 2006年11月30日(木)~12月3日(日) 手織座にて

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2009年4月18日 (土)

ミヒャエル・エンデ「サーカス物語」

4月16日(木)19:30~ 仙川「ニワコヤ」(http://www.niwa-coya.com/)にて
第四十四カトレア読書会が開催されました。

参加者は、市村さん、秦さん、笹森さん、笠原さん、管理人に加えて、坂上さん、古庄さん、鈴木さんの初参加組が三人、の8名。
テキストは、ミヒャエル・エンデの「サーカス物語」
(翻訳:矢川 澄子  岩波書店1984/01)
表紙絵および挿絵の司修の版画が本当に素晴らしく、それだけでもこの本を一冊持つ価値はあります。

『モモ』『はてしない物語』(映画「ネバーエンディングストーリー」)などで日本でも有名な、ドイツの偉大な児童文学作家ミヒャエル・エンデの作品です。・・・と、一般的なプロフィールで、このように彼を紹介することは多いですが、「児童文学作家」として括られることをエンデ自身は良しとはしなかったようです。つまり大人が良質と感じる作品こそ、子供にも与えるべきであると。「子供の為」という言葉は嘘で、人間として良質な物には、大人も子供もないということでしょうか。またエンデの作品に一貫しているのは現代文明を批判する視線。物質主義、拝金主義を糾弾し、芸術家としてそれらに立ち向かう手段としての、人間の真の創造性を語りかけます。

【登場人物】
ジョジョ・・・サーカスのピエロ。架空の話ではジョアン王子
エリ・・・知恵遅れの少女。架空の話では王女
カロファイン・・・架空の話の中でエリ王女に仕える魔法の鏡
アングラマイン・・・大蜘蛛。怪しげな妖婦(男優が演じる)
道化・・・ジョアン王子のお抱え
結婚大臣・・・架空の話、明日の国の大臣
ピポ・・・アクロバットの曲芸師。サーカスの座長
ローラ・・・綱渡りの女
ヴィルマ・・・曲打ちと手裏剣使い
ユスフ・・・手品師、火喰い男
ブッフ・・・腹話術の人形使い
オトカール・・・その人形

【あらすじ】
大都市のはずれにある荒涼とした工場地帯の空き地にぽつんとサーカス団のテント。うなだれる団員達。いまや彼らは存続の危機に立たされていた。空き地からの立ち退きを迫られていたのだ。工場の総裁との交渉から帰ったジョジョが言うには、その工場の商品を宣伝するならサーカス団を専属として雇うという。しかしその為には、知恵おくれの少女エリを捨てること・・・それが条件。苦悩する団員達。返事の期限は明日の夜明けまで。
団員達の気持ちが暗く沈む中、エリはジョジョにいつものように、お話を聞かせてくれとせがむ。ジョジョは、エリを王女にして、団員達も登場する物語を語り始めた・・・
それは、大蜘蛛アングラマインによって、明日の国を奪われたジョアン王子と、何不自由ない幸せなガラスの城に住みながら、カロファインの鏡によって運ばれたジョアン王子の幻影に恋焦がれ、彼を探す旅に出たエリ王女、二人の愛の物語。果たして、失われてしまった明日の国は蘇るのか?ジョアン王子とエリ王女の愛の行方は?・・・

およそ1時間50分ほどの読みでした。

(以下ネタばれします)ジョジョの作った架空のお話では、自分が何者であるかを忘れてしまっていたジョアン王子(ジョジョ)はエリの愛の力で目覚めさせられ、明日の国は奪還され、二人は結ばれハッピーエンドで終わります。しかし、架空のお話が消えた後の現実世界では、サーカス団が果たして物質主義の権化たる工場と、迫りくる厳しい現実と、どう戦っていくのか?という提示で終わります。
エリを捨てず、工場との専属契約を反故にし、土地を追い出される選択を選んだサーカス団員達。厳しい選択であるには違いありません。しかし、一時を凌ぐ経済の為に心を殺して、一生を後悔の内に生きていくよりも、本当の心の自由とは何か?を求め生きていくことを選んだ潔さと、真の人間性への問いかけがあります。

とはいえ私たち日本人が読む戯曲としては翻訳物がもっている文章の硬さが玉に瑕。上演する場合は、やはりその点が問題になるかと思われます。また全編にわたり唄(詩)が占め、オペレッタのような戯曲でもあります。ですから音楽も重要です。
細かい話、後半のアングラマインVSジョアン王子&エリ王女の場面で、どんどん説明的な、道徳の教本的な台詞の応酬にちょっと鼻白みますが、それは仕方ないことで。本来のドイツ語原文で、ドイツ人の役者で演じられたら、どんな風になるのか?もし自分がドイツ人としてこの作品見たら、どんな風に感動するのか、想像が及ばぬところです。

また、この物語。現代文明批判ではありますが、同時に、その渦中で生きる芸術家たちにも警鐘を鳴らします。
以下の二つの引用は、個人的に引っかかった箇所です。

①架空の物語後半、我を取り戻したジョアン王子。エリ王女らと共に、大蜘蛛アングラマインによって支配され奪われし「明日の国」を奪還しに戻ります。しかし国までもう一歩のところで、深く暗い谷が彼らを阻みます。そこで出合った、かつてのジョアン王子の僕であった道化が、その谷ができた理由を語ります。

道化 レディ・アングラマインは そりゃ罪ふかいよ
   だがこれにはかかわりない あんた 自分の責任だぜ!
ジョジョ 何いってるんだ? ぼくが? ぼくのせいで
   世界の顔に こんなおそろしい傷口がついたのか?
道化 そのとおりだ ジョアン王子よ あんたは知らんかもしれんが
   夢みたひとの記憶からつっぱなされると
   夢は不実な生み手から むりやり身をひっぱがすんだよ
   あんたが行っちまったとたん まずひびが入り
   それから裂け目が ふかい地割れができて
   やがて谷になり くらい淵になり――といったふうに
   夜となく昼となくひろがっていって
   とうとういま見るようなおそろしい深淵ができあがったんだ。

ん~・・・胸に痛い台詞です。もうひとつ・・・

②アングラマインとの対決の時。愛を否定し、創造性とは人間のおなぐさみで、世界は何も変わらないと言い切るアングラマインにジョアン王子が投げかける言葉

ジョジョ (略)愛なんてあるものか とあんたはいったね
   自由も そして創造的なあそびも存在しない と?
   自分のことしか眼中にない アングラマインよ
   あんたがそういったって だれもおどろきゃしない。
   いいか 愛と自由とあそびの三つを手に入れたものだけが
   しんから心おきなくふるまうことができるのだよ。
   (略)

〝愛〟と〝自由〟と〝あそび〟・・・真の意味でのこの三つを、果たして自分は、持っているか?・・・これまた胸に痛い台詞でございました。

会が終わった後の飲みながらのディスカッションで、〝愛〟という言葉や、時に〝絆〟といった言葉を大上段に振りかざして語ることの気恥ずかしさなどが話題に出ました。が、一方、いや今まさに硬直し萎縮したこの世界に、ストレートにその意味を問い直す意味で、〝愛〟という言葉を使うべき時ではないか?!という意見も出ました。果たしてそこに於いて、巷のポップスで歌われているような〝愛〟と、それとに、どのくらいの違いがあるのか?この時代の変わり目に、押し流されるようにして生きている自分自身に果たして本当に語るべき〝愛〟はあるのか?!・・・と、ひとり煩悶する帰り道の夜でした。

次回のご参加をお待ちしております。

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コメント

「愛」って言葉。甲本ヒロトみたいに、その言葉の、それ以上でも以下でもなく、そのままをただ発する、みたいに使えるといいなあ。と思うのです。強くてクサい?台詞であればあるほど。いや、まあ、どんな台詞もなんですけどね(^-^)/

ほりゆり様
コメントありがとうございます。
そうですね。本来その言葉が持っている意味を素直に観客に伝えることが出来たらそれでいいんですものね。いくらブルーチーズの如くクサくて強い台詞でも。でもそのクサいチーズを美味しく食べていただくには、それに合うワインも必要ですね。。。って謎解き問答かいヾ(´ε`*)

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