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  • 1-3-2 たったの五千六百円なのよ・・・
    安部公房作 カトレア読書会演出 「友達」 2006年11月30日(木)~12月3日(日) 手織座にて

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2006年12月21日 (木)

イプセン作「ゆうれい」(※本によっては「幽霊」)

12月20日(水)18:30 ~、駒込にて、第三十回カトレア読書会が開かれました。2006年最後の読書会です。
参加者は、笠原さん、高山くん、輿石さん、秦さん、市村さん、反町さん、帆足さん、林の以上8名。

テキストは、先週に続きイプセン作品で、「ゆうれい」(毛利三彌訳/東海大学出版会)。三幕もので登場人物は5人。幕毎に5分休憩入れて、およそ二時間。

【物語】
 舞台はノルウェイ西部の大きなフィヨルドに面したヘレーネ・アルヴィング夫人の館。窓ガラス越しに見えるフィヨルドの風景は長雨に煙っていて陰鬱である。夫であり、ローゼンヴォルの元侍従にして、この地方の名士だったアルヴィング大尉。しかし彼は放蕩を尽くし既に他界。アルィング夫人は故アルヴィング大尉を記念して孤児院を開こうとしていた。物語はその落成式の前日から始まる。
 館にはアルヴィング夫人と落成式の為にパリから戻った画家で息子のオスヴァル、そして夫人に仕える召使のレギーネが暮らしていた。レギーネは、孤児院建設の仕事を請け負っている大工のエングストランの娘ということになっていたが、実は、かつてこの館に使えていた女中と主アルヴィングのと不貞によって出来た子であった。不貞が発覚した女中は暇を出され、娘であるレギーネは幼い頃から館の使用人としてアルヴィング夫人の下で育てられた。息子オスヴァルはアルヴィングと夫人との間に出来た子であったが、こうした問題のある家庭環境を避けるため、幼少期から外国に出されて暮らし、パリで画家の修行をしていた。このようにアルヴィング夫人にとって、故アルヴィングとの結婚生活は、決して幸福なものではなかった。夫人は自分の夫が酒に溺れ、邸宅で堕落した(不貞を働いた)生活をしていたという事実をオスヴァルにも頑なに隠し通していたのだった。
 大工のエングストランは、翌日に開館をひかえる孤児院の最後の仕上げをしていた。この仕事が終えたら、彼は隣町で船乗り相手の宿屋を開き、レギーネにも手伝ってもらいたいと考えていた。しかしレギーネは、パリ帰りのオスヴァルに「いつかパリに連れて行ってやる」と軽口で言われた言葉を信じ、パリに行くことを一心に夢見ていた。一方オスヴァルは、レギーネのそんな願いも知らずに、レギーネに恋心を募らせていた。
 孤児院の財務管理を任されている牧師のマンデルス。彼も落成式の為に館にやって来くる。アルヴィング夫人は若い頃、マンデルスを慕っており、一時は夫を捨てて彼のもとに走ろうとまでしたが、聖職につく生真面目なマンデルスはこれを拒み、夫人は家に戻ったといういきさつがあった。
 式典前夜、エングストランに頼まれたマンデルスは落成間近の孤児院で祈りを捧げていたが、火の不始末で孤児院は全焼してしまう。マンデルスは孤児院に保険をかける必要はないと主張していたので、牧師として、また財務管理者として、あるいは容疑者として、自分の名声に傷がつくことを恐れる。事実を知っているエングストランはマンデルスをゆすり、出火の責任を負う代わりに、彼が隣町に開く「船乗りの家」に焼けた孤児院に充てる予定だった運営資金をマンデルスから融通してもらう密約をとりつける。
 孤児院が全焼してしまった明け方。オスヴァルはアルヴィング夫人に、自分が梅毒にかかっており、その為に脳が侵され発作も既にあって、やがては病気で身動きできなくなることを告白する。そしてできればレギーネの手を借り、モルヒネを致死量まで飲ませてもらうことが望みであると言う。しかしレギーネはオスヴァルが病気で、実は自分の腹違いの兄であることを知ると、夫人やオスヴァルに見切りをつけ館を出ていってしまう。
 アルヴィング夫人はオスヴァルに、亡くなった父親の真実の姿を話し、オスヴァルの病気は父親からの遺伝だと告げる。夫人はいまや、息子に安楽死のためのモルヒネを与えて、息子を苦しみから救うかどうかの決断を迫られる。明けていく空、フィヨルドに久しぶりの朝日が差し込む頃、オスヴァルに最後の症状が表れ、そして・・・

 舞台となる館の外は常に暗く北欧特有の曇天、しかもこの地方は降雨量が多いところで有名らしく陰鬱の極みです。しかしその重苦しい風景に反して、館で渦巻く人間模様はある種ドタバタで、笑ってしまうシーンも多くとても面白かったです。長すぎてうんざりすることもなく、二時間弱三幕の中で、物語がグイグイ展開し、ラストまで飽きることなく読めました。ラストシーンの息子オスヴァルの姿は、実際の舞台でやったら“衝撃のラストシーン!”ということになるのでしょう。それぞれのキャラクターも人間の弱さ狡猾さなど粒だっていて、大変共感もてましたね。「先週の「人民の敵」より全然面白かったね」というのが参加者の一致した意見でした。

またこの作品は、第一回カトレア読書会に読んだ「人形の家」の続編と言いますか、人形の家の主人公ノーラが一度は決心しって家を出たけれども、再び家に連れ戻された、その後の人生といったところでしょうか。イプセン自身も1981年の友人宛の手紙に「私は『人形の家』の地点でとどまることはできませんでした。ノーラのあとには、必然のこととしてアルヴィング夫人がこなければなりませんでした」と書き送ったそうです。

イプセンの「ゆうれい」は1881年12月に出版されるや、ごうごうたる非難の嵐に晒されたそうで、梅毒遺伝、近親相姦、聖書批判などなど、当時のタブーをあからさまにしたからでしょう。どの劇場でも上演は許されず、世界初演は翌1882年5月にアメリカのシカゴで、北欧人グループが原語で行ったもの。欧州初演は1983年、スウェーデンの巡業劇団によって。そしてイプセンの母国ノルウェーでは1900年まで上演が認められなかったそうです・・・いやぁキリスト教の道徳的厳格さというものは相当なものですね。

なお、従来題名は漢字で「幽霊」なのですが、今回の出典である「イプセン戯曲選集~現代劇全作品」(毛利三彌訳/東海大学出版会)の解説では、従来の題名「幽霊」の重苦しさを強調するばかりでなく、メロディックな響きのノルウェー語を駆使するイプセンの、苦いユーモアとアイロニーが遺憾なく発揮されている作品であることを再確認し、「ゆうれい」という平仮名表記で軽くしようとしたということです。
イプセン作品は「ヘッダ・ガブラー」、「海の夫人」など名作と呼ばれるものがたくさんあります。来年また忘れた頃に読んでみましょう。

2007年最初の、第三十一回カトレア読書会は1月11日(木)19:00~(場所は年明けにお知らせ)です。ふるってご参加ください。

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