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友達フォトアルバム

  • 1-3-2 たったの五千六百円なのよ・・・
    安部公房作 カトレア読書会演出 「友達」 2006年11月30日(木)~12月3日(日) 手織座にて

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2006年10月20日 (金)

安部公房作「闖入者」(小説)/「友達」(1967年版)

第二十八回カトレア読書会が10月19日(木)夜、巣鴨にて行われました。
参加者は、笠原さん、秦さん、輿石さん、市村さん、北川さん、宍倉さん、すっかりレギュラー坪田さん、そして、林の8名でした。
今回は、安部公房作「友達」の原点としての小説である「闖入者」(1955)と、その後、1967年に書かれた「友達」初演版を読んでみました。

小説「闖入者」は、「友達」の原点だけあって、大よその設定は同じです。ひとり暮らしの男Kの部屋に、ある晩突然、九人家族が大挙して押しかけ民主主義の名の下に占拠してしまう。Kに対して、時には多数決で、時に暴力で、彼を奴隷状態にする家族達。最後は悲惨です。戯曲「友達」と違うところは、圧倒的に暴力的であるというところでしょうか。「友達」では、まさにタイトル通り家族たちは「友達」としての存在を押し付けがましくアピールしますが、小説「闖入者」では、家族はあくまで自分達の権利を主張し続ける「闖入者」です。小説「闖入者」は1955年に発表されていますが、戦後の混乱からようやく立ち直りながらも、アメリカ・まさに「デモクラシー」の占領下にある日本人と、「デモクラシー」の正当性をもって支配するアメリカとの縮図を皮肉ったようにも映ります。

長い文章ですが、この小説「闖入者」と、戯曲「友達」に寄せた安部公房の文章を抜粋します。
「このドラマが、小説「闖入者」と本質的に違うところは、まずそのテーマである。「闖入者」の場合には、ごく単純に言えば、誤解された民主主義、もしくは多数という大儀名分の機械的拡大解釈に対する、諷刺がそのテーマの中心におかれていたと言ってもいいだろう。作者としては、たとえば自由に対するアメリカ的神話、もしくは保守政党の巧妙な多数原理の煙幕的利用、そして、奇しくもそれらとメダルの裏表のように一致している、左翼政党の偽似多数原理・・・そうした現代の皮肉な現象にホンロウされている、平凡な一市民を描き出すことに最大の目的があった。むろん、その反面、孤立のための抵抗の手段を見失った、孤独な市民に対する諷刺の意図があったこともいうまでもないことだが・・・しかし、この小説をもとにしたドラマ「友達」では、テーマはかなり次元を異にしている。題名の変化がしめしているとおり、「闖入者」が、「友達」に変質したわけである。具体的にいうと、「闖入者」たちは、多数原理(民主主義)を暴力の合理化に利用した。多数神話に毒されていた主人公は、まず心情的に、その神話にさからうことができなかったのである。多数神話を拒否すれば、それはとりもなおさず、暴力を肯定することになり、「闖入者」に屈せざるを得ないという、自己矛盾の罠におちいらざるを得ない。「闖入者」の襲撃は。いわば主人公自身の内部の矛盾でもあったわけである。だが、時代が変わった。「闖入者」的テーマが完全に無効になったというわけではないが――それはそれで、いまなお大きな主題だと私は考えているが――それ以上に切実な状況がわれわれに迫り、おびやかしているのが、今日的な状況なのである。それは、多数神話が単に神話に過ぎないという、大衆の実感を、逆手にとって登場してきた、いわば新保守主義の逆行的リアリズムなのである。その特質を一口に言えば、多数原理から民主主義のオブラートをはぎとった、むきだしの共同体原理の強調と言ってもいいだろう。その代表的なものが、新ナショナリズムの旗じるしである。むろん新ナショナリズムに実体などがあろうはずもなく、必然的に偽似共同体にたよらざるを得ない。象徴天皇も、隣人愛も、民族的自覚も、すべてそのシンボルにすぎないのだ。それらは、過去の実体をともなった共同体とはちがい、要するに偽似共同体にすぎないのだが、しかし、『異端告発』(左翼では、通俗的転向論の一つのパターンとして現れる)の効果は、じゅうぶん過去の共同体に匹敵するものを持っている。つまり、非常な多数決原理で襲いかかった「闖入者」たちが、こんどは、親愛なる同朋として、「友情」の押し売りをはじめたというわけだ。プロットには共通性があるが、テーマはすっかり変質してしまった。「闖入者」を「友達」という、いささかトボケた題名に変えることによって、私は偽似共同体のシンボル(明治百年、紀元節の復活、等々)に対する、われわれの内部の弱さと盲点を、その内部からあばいてみようと考えたわけである。
(中略)
再び繰り返すが、このドラマのテーマは、現代の内部にうずく、共同体復活へのプロテストなのである。」(友達 ―― 「闖入者」より (1967.2頃)安部公房全集020/新潮社)

さて、来週23日から12月発表会のお稽古に入ります。なので通常の読書会は、11月30日~12月3日の発表会が終わるまでお休みになります。しかし、お稽古には参加・見学自由ですので、どうかお気軽にいらしてください。お待ちしてまぁす(^o^)!

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