最近のトラックバック

2014年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28  
フォト
無料ブログはココログ

友達フォトアルバム

  • 1-3-2 たったの五千六百円なのよ・・・
    安部公房作 カトレア読書会演出 「友達」 2006年11月30日(木)~12月3日(日) 手織座にて

« ジョン・ミリングトン・シング作「海へ騎りゆく人々」/ストリンドベルイ作「稲妻」/他 | トップページ | 12月発表会 チラシ完成 »

2006年10月11日 (水)

安部公房/作「幽霊はここにいる」

第二十六回カトレア読書会が10月5日(木)夜、巣鴨にて行われました。
参加者は、笠原さん、秦さん、輿石さん、市村さん、林、そして初参加の坪田さんの6名でした。
今回は念願だった、安部公房作「幽霊はここにいる」を読みました。

【物語】まだ戦争の名残りを引きずる地方のとある町、「北浜市」。町外れの橋の下、過去に人を殺したという疑いをもたれている詐欺師・大庭三吉が、自分は幽霊の姿が見えて、しかも彼らの話を聞くことが出来るという不思議な男・深川と出会うところから物語は始まる。深川は、 成仏出来ないで今も自分のそばについて回っている幽霊たちの身元調査をしたいという。死人の写真を買い集め、幽霊との首実検を行いたいというのだが、その為にはたくさんのお金が必要なのだと訴える。その話を聞きくや、詐欺師としての直感が働いた大庭は、ひともうけを企む。大庭は深川を連れて、ほそぼそと町で電気店を営んでいた大庭の妻・トシエと娘のミサコのもとに8年ぶりに姿を現す。そしてさっそく、町中に「高価買取、死人の写真」のビラを貼り、幽霊をネタに商売を始める。ところがこれが大当たり。町中の誰もが見えない幽霊を信じ、深川を通して発せられる幽霊の言葉に従うようになってしまう。しかしやがて、町の権力者である市長や銀行家、新聞社社長、土建屋の社長らを巻き込み、大庭の目論見すら超えて思いもかけない方向に物語は展開していく。果たして、幽霊と会話する男・深川の正体とは?とどまる事を知らない「幽霊ビジネス」の行く先は?幽霊は本当にいるのか?・・・

1958年の作品です。この作品の上演によって安部公房は第五回岸田演劇賞も受賞しました。(岸田戯曲賞ではありません)この作品が上演された1958年といえば、既に1955年に神武景気が起こり、翌1956年、経済白書では「もはや戦後ではない」と明記され、社会の表面上では「戦敗国日本」という意識を完全に払拭したことになっていました。「消費者は王様」といわれる大衆消費の時代の到来でもあり一般家庭でも電化が進み、次々と家電製品が登場します。この戯曲でも、娘の大庭ミサコのセリフに「(前略)なんといってもいまはもう、電気の時代ですから・・・(歌うように)電気は魔法の召使い・・・(中略)生活の向上は、まず電化から!」といった電気礼賛の時代の到来が感じられます。

しかし、一方、幽霊の多くや、写真の死人は戦地で命を落とした兵士たち。
戦争の記憶を忘却しようとする市民たちの前に、まるで固まりかけたカサブタを剥ぐように現れます。
例えば幽霊の記事を読んだ市民たちのセリフにも・・・

市民A まあ・・・幽霊だって?!あの人が戻ってきたりしたら、事だよ!
市民B ふうん、あれがねえ・・・すぐ妹にも戦死した亭主の写真を送るように知らせてやろう・・・幽霊だって戻ってきてもらえりゃきっと、よろこぶよ。苦労したんだから・・・
市民D なんだ、「家なき幽霊に、愛の手を」・・・兵隊の幽霊じゃないか・・・「街をさまよう、傷心の幽霊たち」・・・なんだい、まるでアカの泣かせ文句じゃないか。やりきれんな。(後略)
市民E ちえ、兵隊の幽霊ときた・・・まったく復古調だなあ、いやんなっちゃうなあ・・・ 

払拭したはずの戦争の記憶を再び掘り起こされることに、なにを今更と冷遇する人々や、片付けられない遺恨を再び発露する人々。戦後10年あまりの日本の状況を端的にあらわしていると思います。

劇中、幽霊という見えない「非合理」を、信じるふりをしながら利用し、欲望のままに右往左往する人々。その心象をよく表した、安部公房氏がこの作品に寄せた文章を抜粋します。
「(前略)たとえばこの芝居では、はじめ幽霊は、死者の記憶である。死者の記憶がなぜ幽霊になるのかというと、まだ論理化されていないものが、論理化を求めて私たちにせまるからである。論理化されてしまえば、たいていの幽霊は消えてしまう。幽霊とはそういうものだ。ところが、この幽霊が、そのうち商品として金もうけの道具にされてしまう。
すべて一度は商品化という門をくぐって、社会的存在物になるのが、資本主義社会のしきたりであることを考えれば、幽霊が取引きされたってなんの不思議もないわけだ。というより、商品そのものが、すでに物質界の幽霊的存在なのではあるまいか。(後略)」
(安部公房全集008/新潮社 「作者のことば」より)

劇中、頻繁に挟み込まれる、物語のメタファーとしての市民によるコーラス
音楽による実験とエンターテーメントも志向していたのでしょう。

この作品は、今まで読んだ「制服」「巨人伝説」「快速船」「どれい狩り」などのそれぞれの要素が、うまく交じり合った安部公房氏の多くの戯曲中でも、やはり出色の作品だと思います。 最近でも、串田和美氏や、鴻上尚史氏が、演出してますが、やりたくなる気持ちわかります。

« ジョン・ミリングトン・シング作「海へ騎りゆく人々」/ストリンドベルイ作「稲妻」/他 | トップページ | 12月発表会 チラシ完成 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/185975/12244121

この記事へのトラックバック一覧です: 安部公房/作「幽霊はここにいる」:

« ジョン・ミリングトン・シング作「海へ騎りゆく人々」/ストリンドベルイ作「稲妻」/他 | トップページ | 12月発表会 チラシ完成 »